7月31日は京都の【火の神さま】愛宕神社の千日まいり。
この日におまいりすると千日分のご利益があると言われ
夜通し多くの方々がおまいりされます。
私も子供のころに数回、大人になってからも何度かおまいりしております。
昨年は初めて水尾という集落から登山、とにかく急こう配で人も少なく寂しかったので今回はオーソドックスに清滝から。
かねてから落語の【いらちの愛宕まいり】がお気に入りで愛宕さんは初めてという当店のお客さんであり私と同郷の岩田氏と同行することになりました。
昼過ぎにほらほらで待ち合わせ、たかばしの新福菜館本店でパワーを注入!(笑
私の地元 山城多賀の神主Y本氏の運転するタクシーに乗っていざ清滝へ!
ふとっぱらな神主さん。
車中は落語ネタで平和に盛り上がっておりました。
清滝の集落はあちこちに行燈が。
千日まいりのムード満載。
スタートから約10分後の岩田氏。
あれ?こんなにしんどいの?・・・を連発。
落雷の痕跡でしょうか?
それでも生き残ったこの木への崇敬の念でしょうか、
祠がありました。
40分の12の地点。
道中には参拝者をはげますユニークな道標が。
あ~しんどい! をひたすら連発する岩田氏。
最初の三分の一ほどは、体に蓄積するどろどろしたワル~いモノが出ていくのか
他の参拝者をあきれさせ 心配させ 爆笑させる という荒業をやってのけたのでありました。
昔より京の人々に親しまれ、崇敬されてきた愛宕さん。
スキー場・レジャー施設・ホテルなどもあり一大娯楽空間でもあったそうです。
年間乗降客数約40万人を誇った愛宕山ケーブルも昭和19年戦時下における命令で廃業となり清滝から愛宕山の雰囲気は急変したのかもしれません。
愛宕山山中には学校跡・住居跡・お茶屋跡・ホテル跡とされるこのような石垣が随所に残っており往時のにぎわいが相当なものであったと感じさせられます。
励ましたいのか? 脱力させたいのか?
愛宕さん千日まいりは老若男女ものすごく大勢の人でにぎわいます。
のぼりの人はくだりの人へ【おくだりやす~】
くだりの人はのぼりの人へ【おのぼりやす~】
・・・と声をかけあいます。
この世知辛いご時世、
見ず知らずのこんなに大勢の人と声を掛け合うことなど他にありえるでしょうか?
ものすごい一体感や充実感が得られる気がします。
ここが落語に登場する【カワラケ投げ】
岩田氏・・・俺小判投げるし篠田さん拾ってきて!傘持って飛び降りたらいいし。
これを言いたいが為にここまで登ってきたのでしょう。
先ほどまでの「疲れた~」「もうあかん~」という弱音がなくなりました。
半分を越え ようやく本調子が出てきたころにこの看板。
思わずスピードアップしてしまうのです。
頂上に近づくと石碑が増えてきます。
こちらは弘化元年と彫られた石碑。
江戸時代後期でしょうか。
きれいに残っておりビックリ。
上山者の皆さんへ。
登山ではないこの響きが新鮮かも。
そしてようやく 40分の40!!
岩田氏満面の笑み(笑)
しかし・・・
神社はさらに階段の上・・・・
絶句する岩田氏。
頂上付近の門。
年中の湿度は相当なのでしょう。
そう古くなさそうな柱の下は根継ぎの痕跡が(・Д・)ノ
下界とは異なり涼しげな風に癒されます。
神社到着o(^▽^)o
岩田氏はへばりこんでました。
まずは息を整え無事お詣りを果たし御神酒をいただきお札をもとめ定番の樒を買ってしばし休息。
山頂付近にはテントを張る人も。
ご来光を見て下山されるとか。
そんな話しをするうちに岩田氏はトイレに行くと言い残し…
待てど暮らせど帰ってきません。
暗くなるまでに帰りたいのに…(´・Д・)」
随分さがしましたが
携帯の電波も届かずやむなく下山することに。
帰路、休憩場所にいないか 探しつつ。
何度も電話をかけながら探しながらの下山です。
中腹にさしかかりこんな夜景が見えた頃、ようやく電話がつながり今どこか?と尋ねると…
トイレ中に私が先に帰ったと思い 急ぎ駆け下りていると(^◇^;)
まあご無事で何より。
のぼりは賑やか
下りは無言で駆け足
いらちと愛宕まいりでございました。
京都駅近くで居酒屋・bar・立呑みをお探しの切は、京都駅徒歩5分の【ほらほら】へ!!
場所は通称たかばし、新福菜館本店と第一旭本店の南隣!
丸い提灯が目印です!
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